ペンキ屋さんデジタル革命 2 パソコン編

東京都府中市の外壁塗装、塗り替え業者、有限会社不二塗装です。
府中市はもちろん、調布市、日野市、八王子市など東京多摩地域を中心に塗り替え、リフォーム施工を行っております。

我々建設業界の中でも着々と進んでいったデジタル化の波。
ではオフィスコンピューターの導入という本格的な改革はいつ頃だったのでしょうか?
振り返って考えますと・・・かなり遅いです(^_^;
とはいえ、私個人的には結構以前より家庭用コンピューターを触っていました。

PC-8001(ASCIIビジネス様より転載)

 

今となっては知ってる人しか知らないですが、当時は大変有名だったNECの「PCー8001」。これを高校生ぐらいの年で買いました。いわゆる「BASIC」というテキスト言語プログラムを打ち込むと動きます。当時のマイコン雑誌というのはこのプログラム言語をリスト表示した「ダンプリスト」というやつがほぼ内容のすべて。そこにちょこっと企業の広告が載っているんですね。

今のタウンページぐらいははあろうかという分厚い本。この本のほぼすべてが記号と短いプログラム言語、RANだのGO TOだのPRINTといった英単語、数字の羅列でした。たくさんのプログラムが掲載されているんですが全部が僕のマイコンで動くわけではなく、8001用のプログラムはNECでもPCー6001では動かないし、富士通やシャープ、東芝といったライバル機種でも動かない。信じてもらえるかどうかわかりませんが同じBASICプログラム言語でもそれぞれが「NーBASIC」「FーBASIC」といった方言があってERRORがでるんですよ。ですから分厚い本を買っても自分のマイコンに使えるのは一つか二つ。これを一生懸命キーボードで打っていく。
とても時間がかかります。しかも電源を落とすとすべてDATAが消えちゃうんです(^_^;水の泡。
それじゃあどうするかというと・・これまた時代を感じますが専用のカセットテープレコーダーをつないでおいて「CSAVE」とか打ち込むと(正直もう忘れちゃったけど)音声データーに変換されて録音されるんです。何にってですね、普通のカセットテープ(汗)
接続はモノラル端子だったから、ステレオではないです。ただ、録音時間が短いタイプで・・・10分用とか、15分用とかでしたね。編に加工されない方がDATAの保存と再生にはいいんじゃないかな「メタルテープ」「クロームテープ」じゃない「ノーマルテープ」です。
メタルとかクロームって何のことだかわからないという方はその辺にいる50歳以上の方に聞いてみてください。答えてくれると思います。
DATAが音に変換されるとどんな音?ファックスが間違って送信されたり、音声兼用で一つの番号を使ってたりすると受話器の向こうから聞いたことがあるんじゃないでしょうか、「ピー・・ひゅ~ガリガリガリ・・」こんな音です。
このように音声に変換して一日を終え、別の日に読み込んで続きを打つ。
やっとできたと思って動かすと「ERROR」とか表示されて動かない。で、ERROR箇所を見つけてうちなおす・・・

「O」が「0」になってるとか非常に単純なミスが多いんですが、この作業を「バグ拾い」とか「DEBUG」とかいう。「虫拾い」って意味ですね。
これは昔々コンピューターが巨大で原始的な構造だったとき、一匹の虫(蛾みたいなやつだったと思います)が回路に落ちていたためエラーが出ていたという故事に習って使われているそうです。
まぁこんな訳で人の書いた単純なゲームプログラムを打ち込むだけでこの有様なので仕事に使うなんてとてもとても無理でした。
指折り数えて40年ほど昔のことです。
じゃあ何でそんなパソコンを買ったのかというと字が汚い僕は洋画なんかで颯爽と外人さんがタイプライターを打つ姿に憧れてワードップロセッサーというのがほしかった。それからプログラムの勉強のためというのは口実で、一番の目的はあるゲームをやりたかったからなんですね(^^)
そのゲームとは「スタートレック」というボードゲームの進化版みたいなもの。今から思うと超単純なゲームプログラムだったのでなんとか打ち込むことに成功しました。
それに感動して自分でプログラムを打ち始めたら人生変わっていたかもしれないですが、当然のごとくそんなことにはなりませんでした。
それにもう一つの大きな目的であったワードプロセッサーとして使うのにはあまりにも非力なのだということを痛感し、早々に諦めました。それじゃあ、そのプログラム走らただけで高い買い物だったパソコンもお役御免だったかというと、そこはちゃんとそれを見越して挫折者相手の商売をしている人たちがいました。
当時から有名だった秋葉原の電気街に行くと棚に音楽テープのよう(これも想像できないかな^_^;)にプログラムの入ったカセットテープが並べられていました。
このカセットを買ってきてプログラムをピーピーガーガー読み込むと、ゲームができるわけです。
秋葉原だったか、新宿の西口地下街だったかは忘れましたが僕が買ったゲームは「光栄マイコンシステム」作「信長の野望」。
これは面白かった!!今でもシリーズ化されている「信長の野望」の第一作です。
もっとも、音楽もなければ、画像もない、素っ気ない画面レイアウトに半角カタカナ表記。
「トノ、タイフウデゴザイマス!!!」とか言われたり「ヘイシノチュウセイド ガ アガリマシタ」とか・・・^_^;
ファミコンが普及する5年ぐらい前じゃないでしょうか。
アドベンチャーゲームも買いました。同じく「光栄マイコンシステム」の「ドラゴン&プリンセス」これも面白かった。

でもね、この頃はテキストアドベンチャーだから「アナタ ハ モリノコミチ ニイマス」この一言で状況説明終わりです。南に行くと「アナタハ 今 カレハノフキダマリ ニイマス」って感じ。そして突如「ナニカ アラワレタゾ!!」という一言で四角いマスで作られただけの戦闘シーンへ移動!画像がヨロヨロ動いて・・^_^;でも「すごい」と思ったのはプログラムをのぞいてみたらやっぱり「BASIC」で書かれていたんですよ。これだけのものがあの言語で作ることができるんだなぁとつくづく感心しました。
しかしながら当時からパソコンの世界は日進月歩。僕のマイコンはあっという間に旧型に。大学生になっていた僕は「PC-8001」を下取りに出して「FMー7」という富士通のパソコンに買い換えました。
このマイコンに僕ははじめから「漢字ROM」という増設メモリーをプラスしておいたのです。この「漢字ROM」には当用漢字のDATAが入っていて・・・つまり漢字が書ける。夢のワープロは確実に近づきました。
一方その頃、当社の社長(親父)はといいますと相変わらず手書きの見積もりと請求書。
しかし一つ画期的デジタル機器が登場していました。
計算記録紙付きの電卓です!これで検算確認ができるという画期的商品。パシャパシャと印字される数字をみながら僕のワープロ願望はますます高まりました。

こうしてじわりじわりとペンキ屋さんがデジタル革命するのには世代を超える時間が必要でした。


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