ペンキ屋さんデジタル革命 3 ワープロ編

東京都府中市の外壁塗装、塗り替え業者、有限会社不二塗装です。
府中市はもちろん、立川市、日野市、国分寺市など東京多摩地域を中心に塗り替え、リフォーム施工を行っております。

さて、「FM7」というマイコンに買い換えて、(まあもちろんゲームもやりましたが)一番やりたかったこと、やり残したことに挑戦です。つまり「日本語ワードプロセッサー」を使ってみたい。
当時すでにワードプロセッサーは専用機が発売されていましたが企業のオフィスにどーんと鎮座なさっているような高級品。一個人の学生にはとても高くて手が出る代物ではありません。

じゃあ、それまでは何でもかんでも手書きだったのかというとそんなことはありません。

学校のプリントなんかは「ガリ版」と呼ばれる謄写版印刷がありました。鉛筆で書いたものを「ガリ版」の版にしてくれる機械も小学校の印刷室にありましたが(これは今でもあるのかな)文章そのものは手書きです。

活字で格好良く形を整えるためには印刷屋さんに頼む事になります。例えば封筒の自社名。年賀状や名刺もそう。なかなかお手軽に自分が書いた文章を活字にするというわけにはいかなかった。

和文タイプライター (かなり古いタイプ)

もちろん方法がなかったわけではありません。その頃は運転免許の更新にいくと試験場の周りに「タイプ屋さん」がたくさんあって、呼び込みに誘われて入っていくとパシャリパシャリと用紙に住所、氏名などを「和文タイプ」で打ち込んでくれました。
大きな盤面にひらがな、カタカナ、当用漢字がずらーっと2000字から2400ほどの字が並んでいて、それを取っ手のついたポインタで一文字ずつ盤面から選び「パチリ」と打つとそれに対応した活字が打たれるという代物。この頃の免許証は、申請用紙の書き込み部分がそのそのまま免許証になっていたんですね。

実際、僕は免許証の文面が手書きになってる現物をみたことがあります。僕の友人の持っていた小型二輪の免許証でしたが、彼がボールペンで書いた字がそのまま免許証になっていました。違法ではないんです。彼は出費を抑えたかったそうでタイプ屋さんに頼まなかったんですね。でも正直・・・僕はもし自分の字がそのまま免許証になって三年間そのままというのはちょっと遠慮したかった^_^;そう思う人がたくさんいたからこそのタイプ屋さんの繁盛だったのでしょう。
確かに見た目はきれいではありますが一文字一文字を拾いながら打っていく姿を見ているとプロフェッショナルのタイピストといえど、清書として使用することはあっても普段の物書きに使えるものではなさそうに見えました。
やはり、英文タイプのシンプルさは垂涎の的。あんな形で日本語の文章が打てたらどんなに気持ちいいでしょうか・・・
その夢を叶えてくれたのが今では誰もがポケットに入れているスマホに必ず搭載されている「日本語変換機能」です。
私の買ったマイコンには「漢字ROM」を取り付けましたが、これはあくまで「漢字のDATAが入ってるよ」的なもの。
実際に使うためにはそれを動かすためのプログラムが必要なのです。これがまた高い!ピンからキリまでありますが一番チープなプログラムをやっと購入しました。
その名は「FM缶」だったか「FM漢」だったか忘れちゃいましたが、缶の中にカセットテープが入って売られていた商品。

富士通FM7(富士通さんより転載) 一番右にあるのはフロッピードライブ

使ってみるとこれはたしかに廉価版。

・・・ひらがなカタカナは良いとして漢字を打つのに一文字ずつ音読みで拾っていかなければならないのです。例えば「富士山」と打ちたかったら「フ」で「富」の文字を、「シ」で「士」、「サン」で「山」を単漢字として検索、確定しながら打っていくという代物。言ってみれば「電子版和文タイプライター」
それでも当時の僕にとっては感動感動、大感動!
奮発してプリンターも買いましたよ。シリアルドットプリンターです。今のようなインクジェットなんてものではありません。印字部は小さな小さなワイヤの先端が飛び出る仕組みになっていて、インクリボンをたたいて印字する。(複写がとれる利点がありました)一行ごとに「パララララ~ピッ」あ、ガンバってたたいてるんだなぁと実感できる音を立てながら、一行あたり縦8ドットぐらいの点で文字を打つ(ごめんなさいうろ覚えです)この点で、縦16ドット横16ドットの漢字を打ちます。
「計算が合わないじゃん!」
そうなんです。合いません。しかしそこには秘密があって、最初の8ドットを打った後に、プリンタヘッドがほんの少し・・・0コンマ何ミリか下がります。で、もう一度残りの8ドットを打つ訳です。
この画期的システムを構築して駄文をほんの少しだけ書きました。何せこのような和文タイプ的入力方法とブラインドタッチなんてとてもできなかった当時の「一本指打法」では親父に頼まれて葉書一枚分の文章を書くだけでも半日近い時間がかかりました。しかもその前後にカセットテープによる読み込みと書き込みが10分ほど・・・フロッピードライブなんて買えませんでした(8インチ)。
とはいえ、小遣い稼ぎにやった葉書の文章入力とそれをコピーして葉書に貼り付けた会合や組合総会の文章。受け取った方々には「不二さんのところにはワープロがある」と、大いに話題になったそうです。
さりとて技術は日進月歩。ほんの数年後には「文豪」やら「オアシス」「ルポ」などなどの「ワープロ専用機」が低価格で発売されるようになり、僕の「電子和文タイプライター」は、あっという間に時代遅れとなってしまいました。
会社の方にも専用のワープロが導入され、私の「FM7」はゲーム専用機に・・・それでも学生の私は毎日曜日と月に三回の夜勤ビル清掃のアルバイトに明け暮れながら「高級電子玩具」の残ローンをひたすら返す日々。
もう二度とコンピューター関係には手を出さない様にしようと徹夜明けの朝日に誓っていたのでした。


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