ペンキ屋さんデジタル革命 6 Windows98SE

東京都府中市の外壁塗装、塗り替え業者、有限会社不二塗装です。府中市はもちろん、調布市、八王子市、日野市など東京都多摩地区を中心に塗り替え、リフォーム施工を行っております。

私が気付かなかった完全に時代に取り残されていた当社のOAシステム。
ほかの建築業者も大手以外は、ほぼドングリの背比べ状態だったようですが・・・自宅に帰って調べてみるとお役所としては段階的にデジタル化を推薦しているようで各書類も「東京都の書類形式を参考にして下さい」と書かれていましたそこで、早速東京都のページへ。

「なるほど・・・でもこれってPDFじゃん(^_^;このあたりがお役所だよなぁ。でもタイミングとしてはいいかもしれない」

早速、改革に乗り出すことになりました。
まずはハード。とにかく嘆願してWINDOWSが動くパソコンを一台買ってもらうことに。それからプリンターを一台。これはインクジェットで良さそうです。当時のOSはWINDOWS98SEでした。これに一太郎に替わって主流となっていたワードとエクセルがあればなんとかなりそうです。
いろいろと検討しましたが最終的に買ったのはCOMPAQ(コンパック。のちにHPに吸収合併)のデスクトップ。なんと!最新の液晶ディスプレイ(カラー)です。14インチですが。
当時「液晶は高度の技術を要する製品のため、一画面に数カ所のドット抜けは返品の対象外」という規定がペタペタ貼られていましたが(実は今現在でも基本的に対象外)、幸いなことに当社にやってきたディスプレイはドット抜けなし。内蔵ハードディスクの容量は6GB。CPUは忘れましたが、(たぶんK6-2の400ぐらいかなCeleronだったかも)メモリーは64MB・・・・なんじゃこりゃ~的な数字ですが、この頃ビジネスで使うには十分な数字。動画を見る?・・そんなことは想定していません(^_^;。
今でこそ「youtube」とか 電車の中でも普通に見られますけど当時は以前の私がオーディオカセットに録音していたようなピーピーガーガー音を電話回線に乗せてDATAを送っていたのです。具体的には壁にある電話の配線を二股に分けて一本を電話機に、もう一本をパソコン背面のモデムジャックに差しプロバイダの指定する地域の代表番号にパソコンのモデムを使って電話しつなげる・・・これをダイヤルアップ回線という。
昼間の電話回線の速度が・・・いくつだったかな・・・最高で56kbpsです。最高でね(^_^;
まだISDNも登場していない頃なのでホームページをみていても画像がすっとダウンロードできない。ジリジリと画像が表示されていくような状態でしたから動画なんて夢のまた夢。
今でこそWINDOWSアップデートなんかはいつの間にか勝手にダウンロードされていて電源を切るときに「電源を切らないでください」とかのたまわれて「マジか~(T-T)早く帰りたいんだが、いいや、ほっとこう(これが正解)」的な日常ですが、当時Internet Explorerの大規模アップデートなんかがあると数時間、いや一日中電話回線につなぎ続ける必要があって、電話料金はかかるしお話中のままで電話はつながらなくなるしで大事です。
電話料金。これはですね、パソコンで指定した市内かあるいは近隣の市にあるプロバイダの基地局までの通話料金がそのまま一般の電話料金に加算されるわけです。
塵は積もって数万円の電話料金。NTT株は爆上がり。
そうならないようにと利用者の方でもいろいろな秘策がありました。一番有名なのが「テレホーダイ」これは特定の電話番号(つまりプロバイダー)に対しての通話路料金が夜11時から翌朝の8時まで定額となるサービスで、市内料金の通話区域ならいくら繋いでも1800円。
これにみんな契約していたので11時ぴったりにチャットルームに行くと「こんばんわー」「こんばんわ~」と待ち合わせるでもなく人が集まってくるのは良いとしても回線の方はDATA量を各自公平に割り振るのでいきなり「激重」に。
それでも課金よりはマシだと寝不足でかじりつく。
先ほど触れたInternet Explorerのアップデートもこの時間内に全て終わらせようと始めるのですが、翌朝になっても終わっていなかったりERRORが出ていたりなんてことはよくある話だったので、当時盛んに販売されていたパソコン雑誌にはアップデートプログラムが入っているCDが付録として付いていたのです。あと、テレホーダイの時間内に自動的に指定したホームページのデーターをダウンロードするソフトなんかも有りましたっけ・・・
話が大幅に脱線してしまったので仕事の話に戻りますが(^_^;
何でしたっけ?そうそう会社で買ったパソコンの性能が・・・って話でしたね~
時代の背景をわかっていただけると、さほど低スペックマシンではなかったとご理解いただけるかと思います。

そのパソコンで当社の仕事で使いやすいよう見積や請求書の雛形、お役所の提出書類を作っていきましたがワードはともかく、エクセルの方はほとんど使ったことがなかったので一から勉強することになりました。

なにせFM7を使っていた頃の私が最後にパソコン雑誌を買った頃、「マッキントッシュ」というパソコンで使える「ロータスなんとか」という画期的マス目模様のソフトこれが画期的ソフトとして特集されていたのを覚えています。表計算ソフトっていうとこのイメージで止まっていましたし、趣味で買ったパソコンで表計算ってあまり使わないですよね(^_^;?そうでもない?研究者の方ですか?家計簿つけるのが趣味とかですかね?

僕の場合、ほんの少し面倒な計算をするときにちょっと試しに使ったぐらいなので便利さには感心していましたが、興味のあったのはフォトショップやらイラストレーターなどのソフト(もう一台パソコン買えるぐらいの値段だった)そちらの方ばかりに気を取られて自分のパソコンを買ってもさほど使わないまま放置していたのでかなり苦労しました。
それでも、さほど複雑なフォームは必要でなかったのでなんとか自社用の見積書や請求書、材料計算書などの型や、役所に提出する書類の原型も作成することができました(今でも改良しながら使ってます)
これは今まで色々なソフトを勉強しては挫折し、勉強しては挫折し続けた私の持論なのですが「ソフトウェアを使いこなすコツ」は、「使うこと」これにつきると思います。

いや、矛盾してるだろ。しっかり理解して覚えてからでないと使えないんじゃないの?と思われるかもしれませんが、そもそも、覚えることがあまりに多いので覚えた端から忘れます。まして、四十近くになってくると頭のメモリーもくだらないことに使い果たしてしまっていて、新しいことが入ってきません。試しに分厚い説明書と簡単な参考書をパラパラめくって大体の流れをつかんでおいて、後は引っかかるたび参考書を読む。これが一番楽。
何せカンニングしてもOKなので「丸々覚える必要はないじゃん」と気が付いた。
その参考書は「逆引き辞典」みたいなものが使いやすい。「○○がしたい」と思ったら「○○をするには」という目次のある本を探します。実際のところ同じ考えの方は多いようでそういったタイプの本は必ずあります。
それをみながら作ったので、エクセルの計算式とかは今でもさっぱりわからないけど(^_^;)ありがたいことに参考書はまだ手元に有ります。改良するときは今でもその参考書の改訂版をカンニングして作成しています。
このパソコン、落雷で一式がお亡くなりになるまで4年ほど使っていました。臆病者の私はバックアップを必ずとって利用していたので当時のデーターも全て残っています。パソコンにデーターが残っていると昔の見積をすぐに検索で探し出すことが出来るので便利ですね。本格的に導入したのが2000年からなので、今使っているこのパソコンには22年間分の記録が収まっている事になります・・・・


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