東京都府中市の外壁塗装、塗り替え業者、有限会社不二塗装です。
府中市はもちろん、調布市、八王子市、三鷹市など東京都多摩地区を中心に塗り替え、リフォーム施工を行っております。
インディカ米といえば、親父辺りの年代には戦後に『進駐軍払い下げの外米』を食べた人も結構いて
「この年でまたこいつを食うことになるとは思わなかった(T_T)」
もう、食べる前から拒否反応を起こしている人もいました。この手の人はカボチャとかサツマイモとかも『戦争中を思い出してヤダ』といって毛嫌する。
しかし、もうちょっと年代が上がって戦争行って来た人達になると食べ物には絶対文句いわない人も多かった。
「死んでった戦友の事を思えば、贅沢。・・・(-_-)」
と、一刀両断の爺様がいましたっけ。
「あの人、どこで戦ったの(^_-)?」
と問えば
「ガダルカナルだって・・・」
「(@_@)なるほど・・・」
このお爺さん、この頃すでに八十近くだったと思いますがどんな暑い日でも黙々と土方仕事してましたね。
「爺様、お茶でもどうですか(^^)」
と勧められても
「この腕の中で『水が飲みてぇ・・』って言いながら死んでいった戦友を思えば、オレは水だけで充分」
もうすぐバブルに突入という時代でも、まだまだ戦争の影を引きずった人達が現場にたくさんいた時代でした。
そんな時代の人達から見れば『令和』はもちろんのこと、『平成の米騒動』でさえ鼻で笑われてしまうような出来事だと言えるのでしょうね
余談ですが、たとえ大工や左官の親方であろうとこの爺様の前では「疲れた」とか「腰が痛い」と言ったぼやきは禁句でした(^_^;)
「ん? おめえ年はいくつだ?還暦?まだまだ若いじゃネェか(^_-)」
「はーい(^_^;) 頑張りまーす」
戦場帰りの人は強かった・・・。
時代が変わって現場も変われば人も変わる。
『平成の米騒動』のあと、寒さに弱い『ササニシキ』はあまり生産されなくなり『冷害』や『いもち病』に強い品種に置き換わっていったそうです。
ともあれ・・令和の米騒動もどうやら収まったのかスーパーには米袋がずらりと並んでいますね。
けれども最近の気候変動を見ていると、この先まだまだ安心出来ないかも・・・
お米に限った話ではないですが、気温が下がりすぎてもいけませんが、上がりすぎてもねぇ・・・
各地で農作物に異変が起きているといいますし、世界的にも問題になっているそうですね。
身近なところではブラジル産の不作、スペインバレンシア地方の洪水被害が重なってオレンジの品不足が続いているとか・・・海ではサンマが捕れないとか。
今後は、なにがしかの対策をフレキシブルに考えていかなければいけないのかもしれません。